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メモがとれる人間にあこがれて~文具自分紀行・その3

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メモがとれる人間にあこがれて
メモがとれる人間にあこがれて 全 3 枚 拡大写真
 私ことヨシムラマリが、日頃から「あーでもないこーでもない」と考えている紆余曲折をあえて公開することで、文房具について思考をめぐらせ悩む楽しさを半ば強制的に共有しようというこのコラム。第3回は、あたりまえのようでいて難しい、「メモをとる」という行為について考えてみたい。

◆メモがとれるってカッコいい

 メモがとれる人間はなんだかカッコいい。突然だが、私はそう思う。あらたまってなぜかと聞かれると難しいが、あえて言葉にするなら「メモをとる」という行為を通じて、ただ日々を漫然と過ごすのではなく、「経験」と主体的に向き合い、またそこから得たものを蓄積し糧とする、「できる人間」としての姿が垣間見えるから、かもしれない。

 私は、その姿にあこがれてきた人間の一人である。そして、さまざまなメモ帳やペンや方法を試しては挫折してきた過去を持っている。今現在をして「できる人間」にはほど遠いが、その代わり「メモ」に関してはいくつかわかってきたことがある。せっかくの機会なので、あえて自分なりにまとめてみようと思うのである。

◆そもそも「メモ」とはなにか

 さて、どうすればメモがとれるかを論ずる前に、そもそも「メモとは何か」を定義しておきたい。というのも、「メモ」は小さめのノートを指す言葉だったり、見聞きしたことを書き留めておく行為のことだったりと、人によって幅があるからだ。

 便宜上、ここでは「突発的に書く」ものを「メモ」、「計画的に書く」ものを「ノート」と呼ぶ。「突発的」というのは、「いつ」「どこで」それを書かなければならない状態になるか、予測できないということだ。歩きながら降ってきたアイディア、急に上司に呼び止められて頼まれた用事などがこれにあたる。逆に会議の議事録や、考えをまとめるときのように「書こうと思って書く」ものが「ノート」である。

 この「突発的」であることが「メモ」の最大の特徴であり、同時にメモをとることを難しくしている要因でもある、と思うのだ。

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《ヨシムラマリ》

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