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非効率から生まれる価値がチーム力を醸成する~コミュニティロスの時代を離島から考える~

地方創生や教育の文脈では成功事例として広く知られている、日本海に浮かぶ隠岐諸島の一つ、海士(あま)町。背景にあるのが、チーム力だ。都会と島の両方を知る隠岐島前教育魅力化プロジェクト・コーディネーターの大野佳祐氏に伺った。(MANA-Bizより)

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隠岐島前教育魅力化プロジェクト・コーディネーター。 1979年東京都日野市出身。大学在学中の19歳のときにバングラディシュを訪れたのを機に、1年間アジアを旅する。その経験が原点となり、教育・共育の場づくりを志す。早稲田大学に職員として勤務する傍ら、2010年にはバングラディシュに小学校を建設・運営。2014年に仕事を辞めて、海士町に移住。隠岐島前教育魅力化プロジェクトに参画し、現在に至る。
隠岐島前教育魅力化プロジェクト・コーディネーター。 1979年東京都日野市出身。大学在学中の19歳のときにバングラディシュを訪れたのを機に、1年間アジアを旅する。その経験が原点となり、教育・共育の場づくりを志す。早稲田大学に職員として勤務する傍ら、2010年にはバングラディシュに小学校を建設・運営。2014年に仕事を辞めて、海士町に移住。隠岐島前教育魅力化プロジェクトに参画し、現在に至る。 全 2 枚 拡大写真
 本土からフェリーで約3時間。日本海に浮かぶ隠岐諸島の一つ、海士(あま)町。周辺2町村と合わせて島前(どうぜん)と呼ばれ、地域唯一の高校である島根県立隠岐島前高校の魅力化を中心にした地域活性化で、地方創生や教育の文脈では成功事例として広く知られている。教育による創生が“成功”した背景にあるのが、チーム力だ。チーム力を醸成する島の土壌を探るべく、都会と島の両方を知る隠岐島前教育魅力化プロジェクト・コーディネーターの大野佳祐氏に伺った。

コーディネーターが要となり、行政・学校・地域がチームになる



 島根県立隠岐島前高校(以下、島前高校)は、もともとは主に島前地域の子どもたちが通う学校だった。平成9年度には77人の入学者がいたが、少子化や本土の高校への進学者の増加から、平成20年度には28人にまで減少。廃校の危機にさらされた。

 高校が廃校になると、高校生だけでなくその家族も島を出ていってしまうことが予想され、過疎化の加速は避けられない。そんな先細りの未来に危機感を持った島前3町村(海士町・西ノ島町・知夫村)が協議し、見出した活路が「教育」だった。

「島前高校魅力化プロジェクト」が立ち上がり、行政、地域、学校と、地域総出で学校づくりを進めていった。さまざまな施策が功を奏し、生徒数は順調に増加。平成28年度には、全校生徒数が20年度の倍以上の184人までになった。さらに、高校の魅力化に取り組むようになってから、若い世代のIターン者が増え、出生数や地域全体の人口も増加。教育を皮切りに地域全体に活気が生まれた。

本土からフェリーで約3時間。日本海に浮かぶ隠岐諸島の一つ、海士(あま)町。周辺2町村と合わせて島前(どうぜん)と呼ばれる。

 島前地域のこの変化は、地方創生や離島・中山間地域の教育魅力化の文脈では成功事例として語られることが多い。「プロジェクトの草創期は苦労の連続で今も試行錯誤を続けているが、それでもなんとかうまくいっているのは、行政と地域と学校とが一体になり、チームになれたから」。そう話すのは、約4年前に東京から海士町に移住し、隠岐島前教育魅力化プロジェクト・コーディネーターを務める大野佳祐氏だ。

「廃校や地域の衰退の危機が目前に迫っていたので、自分たちがやるしかない、という状況だったわけですが、そこで3町村が『島前高校こそが、教育こそが、地方創生の核だ』と言い切ったのが大きかったと思います。島前高校は県の管轄なので、それまでは町村(自治体)と学校とのつながりが希薄でした。地域とのつながりも、多くの学校がそうであるように、生徒の保護者くらいのものでした。地域行政のトップが旗を振ったことで、みんなでチームとなって課題に立ち向かおうという方向に動けたのだと思います」

 これまでかかわり合いの少なかった地域と学校とをつなぎ、意識の共有を図る立場として設けられたのが、「コーディネーター」という職だ。まさに、チームの要となる存在であり、初代コーディネーターは現・島根県教育魅力化特命官の岩本悠氏が務めた。

「高校がなくなったら地域はどうなるのか、そうならないためには学校をどうすればいいのか、子どもたちに何を伝え、どう育てていったらいいのかと、課題や解決策を共有する。そして、みんなで学校を変えていこう、10年後、20年後の地域を支える子どもたちを育てていこう、チーム一丸となってがんばろう、という空気を醸成する。それができたから、10年前の危機を乗り越えられたし、今もこうして魅力化の取り組みが継続しているのだと思います」

回り道を通るかどうかで、非効率だからこそ、意思決定の質、合意の質が上がる変わる



 大野氏は、東京では私立大学の職員として第一線で活躍していた。起業を考えていたときに縁あって海士町に出会い、「ぜひ島に来て魅力化に携わってほしい」と乞われてIターンを決意。一番の決め手は、人の魅力だった。

「高校の校長先生や先生たち、コーディネーター、学習センターのスタッフ、町長や教育長、地域の人たち、みんなが“学校は町づくりの、地方創生の核だ”と同じ方向を向いていて、それぞれが熱い思いを抱いていることが伝わってきました。地方創生と教育の両面に携われるのは面白いなと思ったし、個人的にも、社会的にインパクトのあることに挑戦したい、直接関わる“手触り感”が欲しい、と思っていたときだったので、迷いはありませんでした」

 見知らぬ土地に飛び込んだ大野氏だったが、「効率化よりもプロセス重視」の物事の進め方に、当初は驚きを隠せなかったという。

「都会というか、今の世の中の流れとは真逆なんです。僕自身、それまでは手段よりも結果重視で仕事をしてきたし、それが自分の得意技でもあったので、戸惑いは大きかったです。島で何か決める際には、いろんな人に意見を聞いて、会を設けてコンセンサスを得て…という物事を詰めていく過程がとにかく大事。出てくる結果は同じでも、その回り道を通れるかどうかで意思決定の質、合意の質が変わってくるんです」

「かつての僕は、いかに速く意思決定し、いかに速く結果を出すかを志向することで、自分も組織も大きなリターンを得ていました。スピードこそ自分の取り柄だと思ってなりふり構わずなところもありましたが、ここに来て、周囲を気にかけられるようになりました。自分ならもっと速くできるのに、というジレンマがまったくないと言えば嘘になりますが、魅力化というプロジェクトを長く続けて行くこと、次の世代にバトンを受け継いでいくことが僕らの役割なので、一時的な成功ではなくみんなで遠くに行くことを考えないといけないんです」

 大野氏のマインドが“島流”にリセットされたのは、「真面目で朴訥としていて、自分のことよりも何よりも地域や子どもたちのことを考えている」という地元出身のある教員との出会いがきっかけだった。続きはこちら

《MANA-Bizより》

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